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中国古鎮(24ヶ所) はじめに

安徽省

 

西逓

明清代建築が良い状態で保存されている世界遺産の村で、現在も人が住んでおり、村全体が露天博物館のようだ。
この村は平面で見ると船の形をしている。
村が形成され始めたのは、北宋年間で今から約940前で、現存する民家は明清代のもので300棟余りで、そのうち保存状態いいものは124棟。
これほど多くの古民家がまとまって残っているのは中国国内でもめずらしい。
大量のレンガ、木、石を使って建てられた民家は、所々に精緻な彫刻がなされ往時をしのばせる。
窓枠の木彫、壁の石彫などの装飾を施した建築様式は徽州派と呼ばれている。
村の入り口にそびえる「刺史牌坊」は明代の建造で、黄山市で現存するもので規模が最大のもので、村の名誉を示すために建造されたものである。
映画《臥龍蔵虎》のシーンの一部がここで撮影された。

 

宏村

Yi県の東北約10キロに位置する、南宋時代創建の世界遺産の村で、現在まで800年の歴史を持つ。
宏村は、山紫水明な場所にあり、汪という苗字を持つ人々が集住する村だった。
村全体が牛の体にみたてられており、村の西には雷岡という小高い丘が牛の首、村の入り口にそそり立つ2本の木が牛の角、村の前、後ろにある4つの橋が牛の脚という具合である。
なんと、内部構造まで牛の内臓に例え、牛の小腸に当たるクリークは山の泉を引いて各家の前まで運ばれ、生活用水として利用されている。
牛の胃に当たるのは、村内にある半月型の美しい沼「月沼」。牛の大腸に当たるのは村の南にある大きな「南湖」だ。
その、田園風景、山と水の織り成す風景、美しいクリークによって「絵のなかの郷里」と呼ばれている。
保存状態のいい明清代の民家は約140棟あり、中でも”承志堂”は安徽省南部の古民家の特色をよく伝えている。
月沼の西南岸にある「冒華居」は清代の建造で、建築バランスがすばらしく、古色ゆかしい。
その他の建築物は、「楽賢堂」、月沼の北岸には汪氏の祖先を祀った「楽叙堂」、南湖の北岸にある「南湖書院」などがある。
中国国内では、映画《臥龍蔵虎》のシーンの一部が撮影されたことでも有名。

 

南屏村

Yi県の南西に位置する徽州建築が残る小さな村。
村内には、封建社会の宗教観念を体現した祠堂が多く残っており、「家祠」、「支祠」、「宗祠」という三種類に分かれている。
「家祠」には同じ姓を持つ直系親族が祭られている。
家を建てるときは、自分の「家祠」を取り囲むようにして建てられる。
「家祠」は「支祠」を取り囲む、「支祠」は「宗祠」を取り囲んでいる。
高い壁に奥まで続く路地が72箇所あり、縦横無尽に交差してまるで迷路のようだ。
この村では、張芸謀監督の映画《菊豆》の80%の撮影が行われている。 

 

棠[木越]

棠[木越]は歙県の北に位置する小さな村。
鮑とういう姓を持つ一族が暮らしている。
棠[木越]牌坊群は、7つ並んだ牌坊群で村のはずれにある。
牌坊とは一族の孝行や貞淑などを称えるために作られた石碑である。
ここの牌坊は、明代のものが2つ、清代のものが5つある。
牌坊のそばの村も歴史があり、清代に建てられた古い民家が並んでいる。
村内にはそれぞれ祖先を祀る「男祠」、「女祠」がある。
「女祠」は非常にめずらしいものだといわれている。

 

 

 

屯渓

屯渓は黄山の行政中心地で、黄山登山の基点となる町である。
1272メートルにわたる屯渓老街では、宋、明代の町並みが残されており、石畳の道沿いには独特の高くて白い壁、黒い屋根瓦の徽州式建築の商店がたくさん軒を連ねている。
商店では、歙県の名産の徽墨、硯(四大名硯のひとつ)、安徽省の宣州製の筆、お茶、竹細工などが売られている。
古代から人々で賑わう屯渓老街は、現在でも黄山市のショッピングエリアである。

 

 

 

 

浙江省

 

西塘

昔は斜塘と呼ばれていた西塘は、浙江省嘉興嘉善県の北部、上海市、江蘇省と浙江省の境目に位置する。
その昔、春秋戦国時代には呉国と越国が戦った場所で、「呉根越角」と呼ばれ、昔から物産豊富なところだった。
旧市街区には、明、清時代の建物が数多く残されており、その数の多さと面積の広さは中国国内でも例を見ないもの。
西塘で最も有名な建物は、長さが千メートルもある古風で純朴な雰囲気を持つ屋根つきの長い廊下「煙雨長廊」。
中国語で、「生活着的水郷」と言われるように、生活感が息づく水郷である。

 

鳥鎮

烏鎮は桐郷の行政管轄にある烏鎮は杭嘉湖平野の北部に位置し、二省、三府、七県境の地にあるため、古代から水陸の要衝として発展してきた。
烏鎮の歴史は、は唐代にに鎮として設置されたことから始まり、すでに千三百年以上の歴史を持つ。
中国の著名な現代文学の作家である茅盾の出身地としても有名。
清代初期の特徴を残して民家や昭明太子読書処、修真観劇台などの名所旧跡が多く、江南水郷の一つとして人気の観光地である。
中国語で、「原汁原味的水郷」と言われるように、保存状態のよい水郷でもある。

 

 

江蘇省

 

同里

昔は富土と呼ばれていた同里は、宋代から千年以上続く古い町並みを残し、昔ながらの水郷風景が今も残されている情緒豊かな町である。
同里鎮はは川の字型の15の小川によって7つの島に分けられ、川の上には49の橋がかかっている。
町の中に運河が流れ、現在でも生活水兼交通路として使われている。
川を臨んで建てられている民家は江蘇省で最も保存状態が良く、規模は周庄よりも大きい。
鎮内の民家は明、清代のものが主である。

 

 

 

ロウ直

ロウ直は江蘇省呉中区に位置し、蘇州からの25キロの場所にある。
ロウ直は橋の数が多いことで有名で、1平方メートルの中に、宋、元、明、清代の石のアーチ橋が72あったが、現存するのは41。
橋の形は様々で、独特な造形美を持っている。
また、鎮の7本のイチョウの古木もロウ直の特色の一つで、最も大きいのは、千三百年の樹齢を誇る。
ロウ直の古鎮内は、卵石と花崗岩で敷き詰められた石畳の道が残っており、明、清代の白壁、木枠窓の民家とあいまって、独特の雰囲気がある。
古鎮内には、58の小路があり、最も長いものは150メートル続く。

 

 

 

上海

 

朱家角

朱家角は上海市青浦区の西南に位置する広さ4.7平方キロの水郷で、米や魚などが豊富な江南の台所でもある。
朱家角は水陸交通が便利で、景色も優美であり、物資も豊富で、上海で完全な状態で保存されている江南水郷の一つで、1991年上海市政府により四大文化鎮の一つに選ばれた。
宋、元代ににここに市場がつくられて以来、千年以上の歴史がある。
朱家角の主な観光場所としては、「放生橋」「大清朱家角郵便局」「稲米郷情館」「課植園」などがある。

 

 

 

江西省

 

龍南

江西省の最南端に位置する。
ここには370棟の様々な姿の客家建築である囲屋がある。
カン南(江西省南部)の客家囲屋は、明代末期、清代初頭に建設が始まり、現在まで500無得残されているが、そのうちの大部分は龍南県にある。
囲屋の最大の特徴は、その防御性で、囲屋の各部屋を外壁が覆っていることである。
この巨大な外壁の大門の入口にはだいたい題が記された額が掛かっている。
囲屋のもう一つの特徴は血縁性で、家、祠、要塞が一体となっている。
囲屋には一つの共同体で、同じ祖先を持つ人々の末裔が集団で居住する。
毎年決まった時期に、囲屋内の祖堂で、祖先の祭祀行事を行い、交通、衛生、排水、争いごとなどは族長が管理することになっている。

 

湖南省

 

鳳凰

湘西で今最も人気のある観光地である。湘西の湘は湖南省を表す漢字で、湖南省西部の貴州省に隣接する地域をこう呼ぶ。
このあたりには土家族や苗族などが多く住んでいるため、少数民族の自治州となっており、鳳凰はこの自治区の県庁所在地だ。
鳳凰古城は中国の他の地域の古城と同じく城壁に囲まれていて、現在も上に上ることができる。
また、川沿いに立てられた吊脚楼を利用した民宿やお土産屋さんが多く便利だ。
石畳の路地には、鳳凰名物”生姜飴”を実演販売する人がいたり、”作家ものの藍染”のショップがあったり、刺繍などの中国風の小物を売るショップがあったりと、散策に最適な町でもある。
中国人にとって鳳凰古城は、小説「辺城」の作者”沈従文”の故郷としてとても有名で、近郊には黄絲橋古城や南方長城、苗族の村などの見所が点在している。

 

 

芙蓉鎮(王村)

かつては少数民族の土家族が暮らす静かな村だったが、映画『芙蓉鎮』(1987年)の舞台として使われてから有名になった。
一歩路地裏に入ると、石畳の続く地元の人の生活する空間があり、以前と変わらない美しい村の姿がある。
映画に出てきた名物”米豆腐”を出す店は、映画と同じ姿で営業している。

 

 

 

 

 

山西省

 

平遥

平遥県は山西省中部に位置し、太原からの距離は約90キロある。
平遥古城は、城壁で囲まれた古城の中で最も保存状態のよいものの一つである。
紀元前827年頃の西周の時代に、外敵を防ぐために軍隊を駐留させたことからだんだん発展し、すでに約2700年の歴史を持っている。
街は横一線の城壁に囲まれ、外側に壕がめぐらされている。
外側と城壁上部は煉瓦で築かれている。
城壁外側には銃眼があり、72ヶ所の張り出しが造られており、上部には敵に襲われた際に身を隠しながら矢を放つ敵楼が建てられている。
また、城壁の内側には、馬で登るためのスロープが設けられている。
東西南北に6つの門があり、西門の内側から城壁の上に登ることができる。
城壁以外に、街路、市場、商店などの多くが明代の原型をとどめており、城内には300余りの史跡が残されている。
文廟は金代に再建されたもので、宋?金代の建築様式を伝えている。
大街路北にある清虚観(道教寺院)の創建は唐代で、元、明、清代に再建されている。
山西が発祥の地である金融機関「山西票号」も保存されている。
街の中心にある市楼は高さ約20メートル、2層3楼の壮麗な建築物で、昔はここで市場が開かれていた。
その他、街の守り神を祀る城隍廟、沙巷街の関帝廟など数多くの歴史的建造物が残されており、明、清代の都市の雰囲気をいまだによく残している。

 

広西チワン族自治区

 

三江

三江県は桂林から車で約2時間の距離にある。
三江は少数民族であるトン族の自治県であるため、独自の民族風情を感じることができる。
トン族の村は山あいの川辺に作られる。家屋は一般的に杉で建てられた木造建築で、多くは2、3階建て。
川辺または山の斜面にある家屋は大部分が“吊角楼“(基礎部分の材木が棒のように吊り下がっている建物)。
鼓楼はトン族のシンボルである。一般の塔楼と異なり、下部は正方形、瓦のひさしは多角形、閣の軒先は反り返っている。村の中に高く聳え存在感を示す。
鼓楼は普通、一つの姓につき1基建てられるため、比較的大きな集落では3、4基以上あることもある。
鼓楼は村の会議を行ったり、娯楽の場所として使われる。
また、トン族が集住する地区には種々の橋がある。トン族の建築技術の精髄を最も反映しているのが“風雨橋”である。橋には屋根つきの長い回廊があり雨を防ぐことができるためこの名前がついた。
三江の程陽風雨橋は国宝に指定されている。
橋の上には5基の多角形の楼亭があり、通路の両側に欄干がある。
橋には釘が一本も使われておらず、木組みのみで作られている。
その構造は精巧なうえに堅固である。

 

興坪

興坪は漓江沿いにある町で、漓江下りツアーでのハイライトの一つ。
ツアーでは船で通り過ぎるだけだが、歴史のある魅力ある街である。
ここの景色が中国の20元札の裏の図案に採用されたことから国内でも有名になった。
ここでは、定期的に市場が開かれ近郊の村に住む漁師が漓江でとれた魚を売りに来る。
NHKの桂林紹介番組で放送されたように、川沿いでは魚をとったり、水を汲んだり、洗濯をしたりと漓江とともに生活している人たちの様子をかいま見ることができる。
近郊には前アメリカ大統領ビルクリントン氏が訪中時に訪問した“漁村”という名前の美しい村もある。
また、元JICA協力隊員、現在、旅館経営の日本人林克之さんによって整備された老寨山山頂の友好亭から興坪の絶景を眺めることもできる。

 

 

広東省

 

開平

開平は広東省の中南部に位置する。
僑の故郷、建築の故郷、芸術の故郷として有名である。
開平の建築で特色があるのは、1920~30年代に建てられた西洋風建築である。
これらの西洋風建築は、当時は3000棟以上あったが、現存するのは1833棟のみで、点在範囲は、水口鎮から百合鎮、塘口鎮から蜆岡鎮、赤坎鎮にかけて。
東西南北数十キロにわたって続くさまざまなスタイルの西洋風建築はまさに壮観。
建築のスタイルは独特で、中国式と西洋式の折衷である。
中国伝統の硬山頂式や懸山頂式のほか、西洋の影響を受けた、ギリシャ式、古代ローマ式、イスラム式、バロック式などのものもある。

 

 

福建省

 

田螺坑

[シ章]州市の南の南靖県書洋鎮上坂村に位置する客家土楼が有名な観光スポット。
全部で5つの土楼で構成され、中央の方楼が1つでを、4つの円楼が取り囲むような形で配列されている。
これらの土楼は山に面して立てられていて、山の起伏とあいまって美しい景色を形づくっている。
田螺坑は、300年24台の歴史があり、現在約500人が今も暮らしている。
土楼の丈夫な壁や、整った柱、縦横に伸びる回廊は彼らの高度な建築技術を物語り、防犯上も便利である。

 

 

 

 

 

永定

永定県は福建省西南部にあり、この地方は客家独自の集合住宅である土楼の故郷として有名である。
永定の土楼は、山の中に点在する。
中でも、洋初渓土楼群、湖坑洪坑土楼群、高頭高北土楼群、衍香楼、振福楼、永康楼は最も価値がある。
客家(ハッカ)はもともと黄河流域に住んでいた漢民族が戦乱や迫害を避け、南方に移住して来た人たちである。
彼らは、すでにこの地に居住していた人々から、よその人という意味合いを込めた「客家」と呼ばれた。
土楼は、外敵から身を守るため、外側を高い壁を配した、要塞のような建物で、同じ姓を持つ一族が集住した。
1、2階の外側には大きな窓はなく、また全体で何カ所かの門で外部と厳重に仕切られている。
1階は台所と食堂、2階は食料などを置く倉庫で人は3階以上に住む。
現在まで客家の人たちはこの居住形式を守っている。

 

雲南省

 

大理古城

大理古城は県庁所在地の下関から13キロの距離にある楡城とも呼ばれる風光明媚な蒼山の麓の古い城である。
人口の七割近くを白族(ペー族)が占める。
白族は白を高貴な色としてあがめるため、若い女性は白い服を身につけている。
779年に南詔国の王が、都をこの地に移したのが始まりで、その後南詔国、大理国の都として政治、経済、文化の中心として栄えた歴史のある街で、城内に残る主要な建物は、かつての南詔国王の王宮と高級官吏の住宅である。
かつて、古城の東西南北には4つの城門があり、東には[シ耳]海、西には蒼山、北には三塔がある。
大理古城の楼閣の高さは、7.5メートル、厚さ6メートル、周囲6キロで雄大な姿をしている。
1382年に創建された城内には、南北にメインストリートが走り、通りの両側には特産の大理石製品、ロウケツ染めなどのお土産が並んでいる。

 

麗江古城

麗江古城は麗江ナシ族自治県の中心にあり、大研鎮とも呼ばれる古い歴史をもつ美しい都市である。
古城は南宋(1127~1279年)に作られ始め、現在は明、清代の瓦葺の民家や石橋などが数多く残っている。
玉龍雪山からの恵みである澄んだ水は、玉泉公園に湧き出し、その水はクリークを通って、各家の軒先まで運ばれる。
古城内の路地には、麗江産の五花石が敷きつめられいて美しい。
道路が古城の中心から四方に延び、メインストリートと小さな路地が秩序よく並んでいる。
麗江古城は城壁のない古城として有名である。
麗江を代々統治していた木氏が城壁を築けば「木」を囲むことになり、「困」の字になってしまうのを防ぐためだといわれている。
麗江は、もともと「茶馬古道」と呼ばれる雲南とチベットを結ぶ交易路の要衝で、昔から発展してきた。
そのため建物も商店としての機能を持ったものが多い。
1996年、強い地震にみまわれい、大きな被害を受けたが、釘を一本も使っていないという木造の骨格部分には被害はほとんどなかったため、従来の木造構造部を利用し、復興を試み、一年後には元通りに復興された。
1986年12月、国務院の批准により、第2の国家の歴史文化名城、1997年、世界文化遺産に登録されている。

 

貴州省

 

屯堡

貴州の安順近郊に言語(アクセント)、習俗、服飾、信仰、建築などあらゆる面で現地の少数民族や漢民族とは異なった文化を持つ自称”老漢人”がいる。
彼らの居住する村は軍事的性質を持った、屯、堡、官、関、哨、[上/ト]、衛、所などから命名されており、中でも屯と堡が最も多いことからこの地に住む人々は屯堡人と呼ばれるようになった。
数百年前、屯堡人は遥か北方から貴州に遠征にやってきてそのままその地に住み着いた人々の子孫だと言われている。
”屯堡文化”を代表する芸術に、”安順地劇”という鬼やらいの芝居がある。地劇の演目は、古代の戦争をテーマにしたものが多く役者は様々な面をつけ、戦いの衣装をまとい、戦旗を背負っている。

 

鎮遠

鎮遠は、貴州省の東部、首都の貴陽からは350キロに位置する。
1986年、鎮遠は国務院によって歴史文化名城に登録された。
歴史ある苗族の古鎮、鎮遠で特徴的なのが、青山と碧水、古い路地と井戸である。
鎮遠にはS字型をした(シ踊)陽河が流れ、河沿いには、「吊脚楼」(柱で支える張り出した建物)が並び、狭い路地裏には古い町並みが残っており、まるでタイムスリップしたかのようだ。
河の東側にかけられている渓橋(後に祝聖橋に改名)は、600年前のもので、古城の北と南をつないでおり、橋の上には、雄大な魁星閣が建てられている。
河をを挟んだ対岸には明代に建造された「青龍洞」という楼閣群が岩肌に張り付くような形で見られる。
「青龍洞」は、ほかに紫陽書院、中元禅院、万寿宮、祝堊橋、蓮花橋の合計6箇所で構成されている。
古城での楽しみ方の一つとして、約2時間深い峡谷の間を行く(?踊)陽河のクルーズがある。

 

四川省

 

黄龍渓

黄龍渓古城は成都市双流県の南、府河下流に位置する。
古城の歴史は東漢時代までさかのぼり、すでに1700年以上の歴史がある。
古城内には4つの道が通っており、メインストリートは、約1000メートルにわたり川岸に続く。
真中の道は埠頭に続き、左右の道はそれぞれ、鎮江寺、古龍寺に続く。
明清代の民家は、回廊式建築で、保存状態もいい。
また樹齢800年以上の榕樹が6株も残っている。
この地で有名な食べ物は「真珠豆腐」がある。