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上海東方明珠塔

東方明珠電視塔(とうほうめいじゅ-でんしとう)は中華人民共和国上海市浦東新区陸家嘴金融貿易区に位置するテレビ塔。高さ467.9mで、アジア第1位、世界ではカナダのトロントにあるCNタワー(553.3m)、ロシアのオスタンキノ?タワーに次ぎ、第3位の高さを誇る。上海テレビ塔、オリエンタルパールタワーとも呼ばれる。展望台は3つ、350m、263m、90mの高さのところにある。1990年着工、1994年11月完成。総建設費8.3億元。

 

 

 

 

豫園

豫園は上海の重要な伝統的な観光名勝であり、「秀麗さは東南第一」を誇っている。園内は、配置が精緻で、景色が美しく、「江南名園」の風格を残りなく表しており、清の時代の上海で有名な「小刀会」蜂起遺跡も残っている。江澤民氏は豫園創建440周年に際して、「海上名園」との題辞を書いた。

 

 

上海外灘

外灘(ワイタン、ピンイン:Wàitān、がいたん)あるいはバンド(英語名:The Bund)は、中国?上海市中心部の黄浦区にある、上海随一の観光エリアである。黄浦江西岸を走る中山東一路沿い、全長1.1kmほどの地域を指す。この一帯は19世紀後半から20世紀前半にかけての租界地区(上海租界)であり、当時建設された西洋式高層建築が建ち並んでいる。租界時代の行政と経済の中心であったことから現在も官庁と銀行が多いが、ジョルジョ?アルマーニやカルティエなどの大型旗艦店や、租界時代のレトロな雰囲気を売り物にしたバーやレストランなどが建物の中に入るようになり、お洒落な街並みに変貌しつつある。

 

 

 

蘇州

蘇州市(そしゅうし)は中華人民共和国江蘇省東南部に位置する地級市。古くから絹織物で発展した国家歴史文化名城であり、上海市に隣接する地の利があり、現在も省の経済的中心である。蘇州で話されている蘇州語(蘇州方言)は、北部呉語を代表する方言と考えられていたが、現在は上海語にその座を譲っている。蘇州方言と上海方言とでは、異なる語彙や発音があるが、しばらく会話すれば意志の疎通に大きな支障はなくなる。

 

 

拙政園

拙政園(せっせいえん)。蘇州四大名園の一つで中国四大名園の一つにもなっています。拙政園は世界遺産としての「蘇州古典園林」の主格です。中国庭園のモデルとして事実上中国No.1の庭園と言えましょう。
宮廷色の強い頤和園(ぎわえん)を代表とする北京の庭園をロイヤル?ガーデンとすれば、蘇州の庭園のほとんどは昔地方の文人や官僚などが所有するプライベート?ガーデンです。今は国の財産として一般公開になっています。

 

 

 

 

獅子林

獅子林とは、文字通りに解釈すればライオンが出没する林です。林のように密に広がるものはよく「XX林」と言います。雲南省には石林という観光名所がありますが、西安には有名な碑林があります(書道に興味のある方はご存知でしょう)。では、獅子林という林とは何の林でしょうか。

下の写真を見ればお分かりのように、それは石の林です。ただし、その石は普通の石ではなく、太湖という大きい湖の周辺で採った所謂「太湖石」です。また、その林とは、太湖石で造られた築山です。端的に言えば、獅子林は築山の公園です。それにプラス伝統的な蘇州庭園の水、東屋、回廊、小さい橋、木やお花など。

 

 

留園

留園は蘇州城の西にあり、拙政園と並び中国四大庭園のひとつ。明代万歴年間に太朴寺少卿徐秦時の私家庭園の東園として建設された(西園は現在寺院)。

清代の嘉慶年代に改修、園主の劉恕名の姓にちなんで劉園、のちに留園と呼ばれるようになった。

敷地面積は約2ha。蘇州で2番目に大きい庭園。留園は蘇州にある各名園の長所を取り入れられており、東、中、西、北の4つの部分に分かれている。

東部は住居で重厚な建築が中心。中部は山水、西部は山林、北部は田園の趣を現している。それぞれの空間がたくみに組み合わされており、その配置の妙と華麗な庁堂が目を引く。また回廊を飾る「漏窓」と言われる透かし窓も見もの。一つとして同じデザインはなく、その一つ一つの窓から見える眺めも異なり、それぞれに完成された一副の絵画を見るようだ。

また紅楼夢の大観園が再現されている建物や、太湖石の名石冠雲峰、歴代の書道家の書が彫られ、留園法帖といわれている壁の石碑も貴重なもので一見に値する。

 

 

寒山寺

梁天監年間(502~519年)に創建され、1400余年の歴史を持つ。晩唐の詩人張継が詠んだ<楓橋夜泊>(月落ち烏啼き霜天に満つ、江楓漁火愁眠に対す、姑蘇城外寒山寺、夜半の鐘客船に到る)の一首で広くその名を知られるようになった。

創建当初は妙利普明塔院と呼ばれていたが、唐代に高僧寒山、拾得が天台山から移り住んだことから寒山寺と呼ばれるようになる。

たび重なる火災に見舞われ、現在の建物は清代末に再建されたものだ。<楓橋夜泊>の詩碑は有名だが、これも盗難や火災に遭い、現在の石碑は清代末期の漢学者の書による。

寒山寺の夜半の鐘の音は古来より有名で、唐、宋代には蘇州で夜半に鐘をつく習慣があり、その余韻は朝まで続いたともいわれる。現在の鐘は清の光緒年間に北京の大鐘寺の鐘を模倣し制作されたもの。また明治時代、日本の永平寺派の僧侶で書家でもあった山田寒山(本名潤子)により鐘が寄贈され、大雄殿の後方に置かれている。

日本の池田市友好協会の発案で、1979年より毎年除夜には寒山寺の鐘の音を聞き、新年を迎える行事が営まれ、現在では一大イベントとなり、日本から多くの観光客が詰めかけている。

 

 

周庄

周庄は上海と蘇州の間に位置して、蘇州から約38キロメートル、上海から約80キロメートルであり、中国有名な画家の呉冠中は周庄の美しさを「中国水郷の綺麗さを納める」と賛美しました、海外の新聞は「周庄が中国第一の水郷である」とも賛美しております。 周庄は約9百年の歴史を持っていて、豊富な文化の含みもあり、西晋の文学者の張翰、唐代の詩人の劉禹錫、陸亀蒙などの歴代名人がここに住んだことがある。周庄も元末明初の江南の巨富の沈万三の故郷である;周庄は典型的な江南水鎮なので、ここで撮影する各種の映画とドラマは40数冊がある。

橋、川、小屋が水郷の特色で、周庄の河川は「井」の字形になっており、町の中から横切って、“咫尺の往来も全て船”,誰の家でも埠頭がある。

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