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四川省の歴史、文化はじめに
成都
杜甫草堂
唐代の偉大な詩人、杜甫は4年近く四川に住んだことがある。四川は彼の詩が成熟に向かった所と言ってよい。彼が住んだ草堂も中国文学史上の聖地となっている
成都市草堂路
(028)87319258
7:30~19:00
なし
30元
武侯祠
最初は西晋末年に建てられたもので、明の初めに劉備の昭烈廟と一体にされた。現在の建物は清の康煕11年(1672)に再建されたもの。境内にはコノテガシワの老木が生い茂り、文物も豊富である。諸葛孔明の生涯を理解することができる。
成都市武侯祠大街231号 (028)85559027
なし 8:00~19:00
(入場は18:00まで)
30元
青羊宮
成都市新西門の一号環状道路の内側にある、歴史の古い道教の宮観で、唐代に建てられ、現存の建築は清代に再建されたもので、主に霊祖楼、八卦亭、三清殿などがある。三清殿の中に銅羊が一組ある。そのうちの一頭に角が一つしかなく、もう一頭は角が二つある。
これは人々の言う「青羊」である。角が一つしかない羊は羊に似ているが羊ではなく、実際には12生肖の化身である。青羊は災難をなくし邪気を追い払うことができると言い伝えられている。
一環路西二段9号なし
(028)877665845元
8:00~18:00
徳陽
三星堆
三星堆は成都の北38kmの所にあり、四川省五大観光地の一つである。人類の貴重な文化遺産であり、中国国内に残る他の文化遺産の中でも群を抜いて歴史的価値の高い文物群である。遺址面積は約12k㎡で、5000年の歴史があり、「長江上の文化の源」といわれている。1986年の発掘で大量の文物が出土され、中でも6点の国宝級の文物は中国の青銅器芸術の輝かしさを示している。敷地内は遺址保護区、生態博物館群と文化産業区の3つの部分に分かれ、それぞれで研究と展示が行われている。
広漢市三星堆博物館
0838-5651550
8:30-18:00(一号館
8:30-18:00(一号館)
18:30(二号館)※入場は17:30まで
ホウ統祠
靖侯祠とも称され、徳陽市羅江県白馬関にある。統(西暦179~214年)、字は士元で、「鳳雛」と号し、荊州南郡出身で、「臥竜」の諸葛亮と同じく有名である。赤壁の戦いのあと劉備を補佐し始め、続いて劉備について四川に入り、計略を使って蜀の将軍楊懐と高沛を捕らえ、成都に進軍して、軍師中郎将にまで昇進したが、城を包囲する戦闘で流れ矢に当たって死んだ。
二師の中に諸葛亮と統の塑像が祭られており、ひさしの柱に「両人有一安天下、千古成双伴夕陽」の対聯がある。二師殿の後ろは棲鳳殿で、中に立っている統の塑像があり、祠の後ろに高さ4メートルの統の墓があり、その北側の数百メートルのところは「落鳳坡」と称され、石碑が立ってあり、墓が一つある。そこは統が流れ矢に当たって死んだところと言い伝えられている。
四川省羅江日馬関
双忠祠
諸葛瞻親子の墓と祠である。諸葛瞻、字は思遠といい、諸葛亮の子で、後継の君主劉禅は彼を行都護将軍に任じた。鄧艾は陰平、江油から南下して蜀を取り、諸葛瞻親子は軍隊を率いて綿竹関で鄧艾に抵抗したが、二人とも戦死した。祠は清の乾隆年間に建立され、殿の中に諸葛亮の坐像があり、両側は諸葛瞻親子の塑像があり、親子三代が一つの堂に祭られている。
四川省綿竹県
綿陽
富楽山
三国文化の再現をテーマとする大型庭園である。三国時期の蜀漢では、劉備は劉璋を助け曹操に抵抗するという名義で蜀に入り、劉璋はこの山に来て出迎えた。劉璋と劉備は山の上で宴を張って酒を飲んでいた時、劉備は山の下の沃野の豊饒な情景を見て、「裕福だな。いまは楽しいな」と感嘆した。富楽山はこれによってつけられた名前である。
綿陽市東郊
蔣えんの墓
蒋(西暦?~246年)、三国時期の蜀国の大臣で、字は公といい、三国湘郷県出身で、官職は安陽亭侯復加大司馬にまで昇進した。諸葛亮の死後、蒋は蜀漢政権を支える者となり、蜀国に「文臣は蒋があり、武将は姜維がある」と言われた。病死のあと西山に葬られ、墓は漢代の風格を保っている。
綿陽市西山
李白記念館
唐代の偉大な浪漫主義詩人?李白を記念して建てられた。その規模は大きく、素朴な造りであるが、主な建物として太白堂、帰来閣、醉仙楼、会館などが建ち並ぶ。園林も建物と混ざり合うような落ち着いた雰囲気で、国内外から観光客に深い印象を与える。詩が雄大で豪放であるため「詩聖」と崇められた李白のことがよく分かるこの記念館は四川北部の観光パスポートとなっている。
江油市内
昭化古城
昔は葭萌県と称された。昔は四川北部の戦略要地と古戦場であった。三国時期、劉備は蜀に入り、左将軍馬超は葭萌関で大いに戦い、姜維の部隊は牛頭山を囲み、費は軍隊を駐屯させて魏軍を防いだ。それから唐の玄宗、花蕊夫人もかつて昭化を通り、詩句を残した。当地の民間の風俗は相変わらず純朴である。
広元市西南36km
翠雲廊
昔は剣州路柏と称され、民間は「皇柏大道」と呼び、主に剣閣を中心とする北、西、南三線の二百余華里の古い駅路に分布し、「三百華里に木が十万本」とたたえられた。いまは柏の木が8000余本あり、三国時代に張飛が植えたと言い伝えられている
剣閣~中(南)、梓潼(西)、昭化(北)
皇沢寺
皇沢寺は原名“烏奴寺”、又の名を“川主廟”といい、中国唯一の女皇帝?武則天の祀廟である。広元市西1,000mの嘉陵江右岸の烏龍山の麓にあり、寺廟は北魏後期に建てられ、唐代に“皇沢寺”と名を変えた。1961年に公布された第一回全国重点文物保護部門に指定されている。
毎年、旧歴1月23日には盛大な廟会が行われ、広元市民は皇沢寺前の烏龍潭で競艇が行われ、河を渡ることで武則天の生誕を祝う。 皇沢寺内に保存されている摩崖石窟にはとても高い技術価値をもっている。
広元市区内
閬中
恒侯祠は、俗に張飛廟と呼ばれ、明代には雄威廟と呼ばれていた。古城西街の北側に位置し、張飛の陵墓と祭祀もあり、もとの祠は戦火により破壊されてしまい、何度か建て直しを繰り返した。墓の周りの壁には四方155m程ある。その後幾度となく修繕され、現在の恒侯祠は、明清時代に増築された四合院式の建物群で、敷地面積は0.6ヘクタールほどで、門、故万楼、牌坊、大殿、后敷、房、墓亭、墓があり、建物面積は2200m2ある。恒侯祠は四川東部の三国文化を観光する上で大きなポイントとなっている。国家級文物保護単位に指定されている。
中市保寧鎮西街
西山万卷楼
陳寿が退官したあと、史学の名作『三国誌』を書いたところ。楼は山に沿って建てられ、楼内に高さ五メートルの陳寿の銅像があり、陳寿『三国誌』を書いた時に使った文物および後人の『三国誌』の研究成果が陳列されている。
南充市西山風景区内
王平の墓
字は子均?巴西の宕渠人で、蜀漢の名将でした。努力肌で無口な職業軍人だったそうで、故事「泣いて馬を斬る」で斬られなかった副官でもある。
南充市高坪区西鶴山上白塔公園内-[1]
南充市高坪区永安郷臨江村鳳凰山-[2]
(元々は[2]にあったが1959年道路建設時に破壊され消滅したとされ、今は[1]に移設された。しかし[2]にも墓標はあります)
西山風景区
西山風景区は南充市の西郊外に位置し、省の風景名勝区とされている。風景区内の舞鳳山、人頭山、官宝山、栖楽山、火鳳山、馬鞍山、插旗山はまるで一本の緑のびょうぶが市の西部を囲っているようである。西河が山の麓からとうとうと流れ、山水が間近に迫り、木々の折り成す自然風景は、「西山秀色」という美称がある。主な見どころは陳寿万卷楼、舞鳳山景区、官宝山療養区と果山景区などがある。 唐代女性詩人薛涛、宋代大詩人陸遊などが幾度となく南充を訪れ、西山の素晴しい景色に対する讃美を込めた詩を残している。
南充市順慶区城西郊
鄧小平故居
鄧小平故居は、総面積約55ヘクタールあり、園内は鄧小平が青年時代に活動してきた場所20ヶ所ほどを再現しており、その中、国家級文物保護単位に指定されているのは6ヶ所ある。鄧小平故居は木造の三合院から成り、平屋、住居スペース、庭にはいちょうの木、竹園など自然景観があり、風情を感じさせる。
建物の中には鄧小平の革命時代の写真が飾られており、また、旧式家具や農具なども置かれている。1904年8月22日、鄧小平はこの地に生まれ、15歳まで過ごした。
園内には、鄧小平故居陳列館と鄧小平塑像広場がある。鄧小平故居陳列館の建物面積は3800㎡で、広範囲においてスクリーンを用いるなどして鄧小平の波乱に満ちた一生を展示している。鄧小平塑像広場は1.7ヘクタールほどあり、三面を山に囲まれ緑多く幽玄な雰囲気があり、人々を懐かしい気持ちにさせ、「天然記念館」と呼ばれる風情を漂わせている。
広安市協興鎮牌村
華蓥風景区
華蓥山市から2.4kmの離れた場所にあり、主景区面積は20k㎡、年間平均気温17.5℃、最高海抜は1.704mで、石怪、緑地、仏教文化、天然洞窟などが一体となったところである。
風景区には2つの林(石林と杉林)、2つの海(雲海と竹海)、2つの美景(日の出と積雪)など多くの絶景ポイントがあり、「林の中に石があり、石の上に林が立つ」という華山盆景式石林の特色がみられる。敷地内の98%が森林に覆われ、森林浴をするのには理想の場所とされている。
四川料理
四川料理が食べられるレストラン
成都は四川省の省都で、中国の有名な歴史文化都市の一つであり、その代表的な料理は四川料理である。
四川料理は中国の四大料理の一つで、歴史が古く、1000余年前の唐?宋時期からすでに有名な料理として知られ、いまでも四川料理の中に太白醤肉、東坡肘子、東坡魚がある。
四川料理は色、香り、味、外観を重視し、中でも味をとくに重視している。内外のお客さんは四川料理が「しびれる、辛い、熱い」ことだけを重視すると思い込み、料理になかなか箸をつけようとしない。その実、四川料理のしびれる辛い味はその得意とするところで、限りなく変化し、最も際立った特色は調味にあり、味は濃淡があって趣がある。
代表的な料理は干焼岩鯉、干焼魚翅、壇子肉、鶏焼肉、魚香肉糸、生焼肋、尾、舌などがある。鶏や家鴨でつくる料理は香甜全鶏、香酥脆皮鴨、樟茶鴨があり、味のさっぱりした雪花鶏、青筍焼鶏、豆渣鴨脯がある。豆腐類料理は味の濃い麻婆豆腐がある。四川料理はスープの味をとても重視し、スープは清湯、湯などがある。
老成都公館菜 菜根香
成都市琴台路20号 西延線ニ環路外1800M
味漫江湖川菜館 飄雪川菜酒楼
科華中字藍天小区 琴台路8号
陳麻婆川菜館 老房子川菜館
青華路19号 羊西線蜀漢路289号錦城苑A座4楼
銀杏酒楼 子雲亭飯荘
永陵路8号 琴台路11号
蜀漢酒家 文居酒家
武候祠大街258号 琴台路1号
満庭芳酒楼 巴国布衣
二環路南三段15号天華大厦1~3F 人民南路四段20号
陳麻婆豆腐店 譚氏宮府菜
西玉龍街、解放北路、武候祠大道 上南大街2号長富広場4F
味道江湖川菜館 潮皇閣川菜館
蜀漢路216号 蜀光路2号
紅杏酒家 成都獅子楼菜館
羊市街西延線蜀漢路289号錦城苑公建E座1F 双林路55号
※いずれも前に「成都市」の略
「有名なレストラン」という意味
四川火鍋
四川火鍋の前身は「毛肚火鍋」といい、重慶江北地区に発源したもので、成都人による改造と向上を経て「川菜火鍋」、「四川火鍋」と呼ばれ、全四川省ないし全国を風靡した。その味はしびれて辛いの一種から紅湯、清湯、湯などを使った鴛鴦火鍋、三味火鍋、四味火鍋に変わった。
四川火鍋が食べられるレストラン
三又耳火鍋店 諫魚頭火鍋店
王双路 青羊正街227号
皇城老馬媽火鍋店 宏記粥底火鍋店
二環路南三段 武侯祠大街132号附3号
龍森園火鍋 孔亮鱚魚火鍋(武候店)
琴台路82号 広福橋北街6号
甜妹泥魚秋火鍋碧雲路店 快楽老家領事館店
碧雲路1-8号 領事館路5-3号
徳荘火鍋清江店 玉竜火鍋(肖家河店)
清江東路198号 肖家河没街192号
劉一手火鍋棕北店 川江号子八宝街店
錦綉路33号 八宝街140号 金色夏威A座
獅子楼火鍋酒楼(万年場店)
二環路東三段万年路2号