北禅寺
市街の北、土楼山の中腹にある石窟寺院です。
岩肌にへばりつくように建てられ、27の石窟があり、3~5世紀の魏や晋の時代の壁画が残されています。
現在は道教の寺となっています。
東関清真寺
東関清真大寺は、西寧市東関大街(大通り)に位置する。中国北西地域最大の清真寺院のひとつ。
タール寺(塔爾寺)
塔爾寺(たーるじ)とは青海省の省都である西寧の郊外の湟中県に位置するチベット仏教の寺院である。タール寺とも表記。チベット語ではクンブムと呼ばれる。チベット仏教ゲルク派(黄帽派)の寺院で、ゲルク派の開祖ツォンカパの生誕地としても知られる。アムド地方における主要拠点のひとつである。1360年にツォンカパの生母が立てた仏塔がもとになっているという。1560年にリンチェン?ツォンドゥギャルツェンが再興し、50あまりの寺をかかえた。また、寺本婉雅が日露戦争のころにここに滞在していた。1958年には3600人以上の僧侶が在籍したが、アムド、内外モンゴル、ユグール族の出身が多かったという。文化大革命後はほぼ僧侶がラブラン寺へ移動してしまった。現在は300人ほどの僧侶が在籍している。
瞿雲寺
瞿雲寺は青海省省都西寧から85キロ離れ、楽都県の県都以南25キロの瞿雲郷に位置する。お寺は山も水もあり、敷地面積は2.37ヘクタールで、典型的な明代の宮殿式建築物群であり、600余年の歴史がある。山門から順次金剛殿、瞿雲殿、宝光殿、隆国殿などの主要な殿堂を並んでおり、両側に石碑のあずま屋、壁画の回廊、小さな鐘鼓楼などの建築物がある。寺の内部の両側には壁画の長廊があわせて51間あり、そのうち28間には大きな彩色壁画が画かれ、面積は360平方メートル以上に達する。寺境内には精巧で美しい石彫りと銅、泥でつくった塑像や古代の銅製の時計があり、みんな非常に貴重な芸術品である。
青海湖
西寧の西150キロ。中国最大の塩湖である。周囲は360キロメートル、面積は4560方キロメートル。琵琶湖の六倍である。
古来より人々はその広大で神秘的なさまに憧れを抱き、その雄大さ、秀麗さに敬意を込めて「青海高原で輝きを放つ一粒の宝珠」とよび、称えてきた。
青海湖はもともと“西海”或いは“鮮水”“鮮海”などと呼び習わされていた。モンゴル語では“ククノール”、チベット語では“ツォティショギャルモ”と言い、ともに「青い海」を意味する。歴史的にはその昔、青海湖一帯は羌族の領土に属していた為、“卑禾羌海(ヒカキョウ海)”と呼ばれていた。漢代になって青海湖一帯が漢民族に統一されると、人々は“仙海”と呼ぶようになった。さらに北魏以降、はじめて“青海”の名が用いられるようになった。
青海湖は高原東北部にあり、湖の周囲は険しい山に囲まれている。北には大通山、東には峻厳にして雄大な日月山、南にはどこまでもくねくねと続く青海南山、西には高く聳え立つ橡皮山。風景区内には大小合わせて30本近くの川が流れ、湖の東岸には二つの「子湖」がある。うち一つは“朶海”と言い、総面積10k㎡余りの塩水湖、もう一つは“耳海”総面積4k㎡の淡水湖である。
湖の真ん中に海心山という島があり、島内にはラマ教の寺院がある。また、湖の北西部には鳥島と名付けられた島がある。毎年10数万羽の鳥が青海湖に飛来するが、そのうちの三分の一は鳥島に集中する。春になると斑頭雁(かりの一種)、鳶色頭カモメ(カモメの一湟種)、アカツクシガモ、鵜など数十種の鳥が島を覆い尽くすようにやってくる。
青海湖に生息する魚は一種類のみ。湟魚という。鯉の種類で鱗がなく、学名を裸鯉魚という。
青海湖の標高は、3266メートル。かなり高い。西寧からくると手前に日月峠がある。ここが中国内陸とチベットの分水嶺で、ここを越えると裸麦の農耕の世界から草原の遊牧の世界へと景色は一変する。 この峠に唐の時代にチベット王ソンツェンカンポに嫁いだ文成公主を偲ぶ日月亭がある。
青海湖の湖畔に佇み辺りを眺めると、遠くに濃緑色の山々が見え、それらが重なり合って周囲を取り囲む。青く澄み渡った湖面は日の光を受けてキラキラと輝き、若草色の草原の中には羊の群れがまるで雲のように遊んでいる。どこまでも続くかのような湖面には静かな波と、逆さに映った雪山。所々で魚が飛び跳ね、鳥が湖の上を旋回する。青海湖の周囲には草原が広がり、浜は広く平坦で水源も充分、気候も比較的温暖なため水草が豊かに茂る。それはまさに天然の牧場地帯なのである。
夏秋季の大草原はまるで緑色の絨毯のように広がり、黄金に輝く菜の花が風に誘われて香を放つ。遊牧民のテントがあちこちに広がり、牛や羊は群れを成してのんびりと雲のように流れる。朝焼けと夕焼けが人を幻想の世界に誘い、人々の心を満たして晴れ晴れとさせる。――そんな素晴らしい景色がここにはある。
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