八大関景区
八大関景区とは中山公園の南の第二海水浴場の海岸線に広がる風光明媚な避暑地。八大関の名は、この景区内の八本の道の名前が山海関路、函谷関路、居庸関路など全国の有名な関所名から採ったことに由来する。ここには洋風建築が建ち並んでいるが、20世紀初頭、中国の一部を占領していた諸外国の青島領事館や海外要人の別荘等が競って建てられて、現在のような美しい別荘地になった。戦後は共産党の政府関係等によって多く利用されてきた。この景観を利用して数多くの映画のロケ現場になり、最近では婚礼写真の撮影ポイントとして数多くの婚前のカップルやカメラマンが訪れる。写真はデンマーク式の建築で公主楼と呼ばれるもので、現在は病院の施設に使われている。
第一海水浴場
匯泉湾の第一海水浴場は東アジアで最初の海水浴場だといわれている。規模は最大で、更衣室やシャワー、レストランなども備えている。夏になると砂浜にはパラソルが並べられ、海水浴を楽しむ人々でにぎわう。
第一海水浴場が、青島の数あるビーチの中でも優れているといわれるのは、ここの浪が穏やかで、砂が細かく、水がきれいであるからだ。沿岸の岩は、浪による浸食によって細かい砂になり、浅瀬の砂浜に堆積する。そして長さ580m、幅40m以上の遠浅の砂浜を形成していて、マリンスポーツにも適している。2003年にはさらに整備が行われ、青島のリゾート地となっている。
棧橋
青島市南の臨海地区にある青島の象徴。清の光緒18年(1892年)から約1年かかって完成した。前海桟橋、南海桟橋、埠頭とに分けられる。全長200m、幅10m、表面は石で、橋の両側は鉄柵が備えてある。青島で最も古い軍事用人工埠頭だ。ドイツ軍に占領されてから、この桟橋は貨物用埠頭となった。
1901年5月の増築では、北側はコンクリートで舗装され、鉄柵はチェーンに代えられた。鉄骨と木材によって、長さ350mまで延ばされ、軽便鉄道による輸送が便利になった。1905年頃には、貨物輸送が青島港まで延び、桟橋は船舶検疫や給水専用の埠頭となった。1931年から1933年にかけて、市当局の投資により、桟橋は鉄筋コンクリート製に改築された。長さは440mまで延長され、橋の南端には半円形の防波堤が新設され、その中には中国民族様式の八角亭?回瀾閣が建てられた。この頃から桟橋、特に前海桟橋は青島の象徴的な建築物として名を知られるようになった。
海岸線を歩くと青島は月のような弓形になっているのがわかる。遠くに見える貝型をした小青島には、緑が多く、白い灯台がまっすぐに伸びている。潮が引くと、褐色の岩と金色の砂が現れ、貝を拾うたくさんの人々でにぎわう。近年、青島はカモメの飛来を促進する活動を展開していて、海が穏やかな時には無数のカモメが湾内を飛び回る。
湛山寺
湛山寺は1930年代に建てられ中山公園の東、森林公園の隣に位置します。 30年代当時、青島を訪れた国民党南京政府や仏学家たちが青島では仏教を振興するため、資金を集めて湛山の南麓に建設しました。
1932年から1944年までに、三経殿、大雄宝殿、天王殿、山門等の主要な建物が完成しました。1940年には青島湛山仏教学校が開校し、多くの優れた人材を輩出しています。
お寺自体はそれほど大きくはありません。古いお寺ではないので「歴史」を感じにくいかもしれませんね。薬師塔などもあってお寺としてのそれなりの雰囲気はあります。太平山と湛山の麓の美しい自然に囲まれていて、隣は森林公園なので、市街地にあっても静かなところです。