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杜甫草堂

成都市の西郊、浣花渓(17路バス草堂寺下)にある。杜甫草堂は武候祠と共に全国重点文物保護単位に指定されている。唐代の大詩人杜甫(712-770)が、45歳の時、安禄山が長安を陥し、杜甫も捕らわれて幽閉されたことがある。のち脱出して逃れた。唐が長安を回復したあと、759年、飢饉のために官を棄てて彼は食を求めて放浪する。その年の12月に、彼は蜀道の険を越えて四川に入った。杜甫は48歳から51歳まで、約四年間住み、その間に240首余りの詩をつくった、それが此の杜甫草堂である。

 

 

 

都江堰

岷江に造られた古代の水利施設?都江堰(世界遺産)。秦代の科学者でもあった李冰が行った工事は、万里の長城とならんで「古代の大事業」と称され、今もその水は四川省の大地を潤しています。近代の土木工学も手本とする技術を探ります。

 

 

武侯祠

武侯祠の「武侯」とは「忠武侯」と贈り名された諸葛亮を指し、彼を祀る霊廟を意味する。しかし、後世に『三国志』や『三国志演義』などで、諸葛亮以外の蜀漢に武将や家臣、さらに主君である蜀の先主、劉備や後主劉禅なども祀られるようになった。劉禅は「亡国の暗君?とみなされたため、南宋のころに廃祀された。 223年に劉備の陵墓である恵陵が造営され、劉備の霊廟も造営された。成漢の李雄は武侯祠を造営し、今の場所に移した。現在のような諸葛亮と劉備を祀る霊廟に整備されたのは明朝のころである。

現在の遺構は清朝のものであり「成都武侯祠博物院」として1961年に全国重点文物保護単位に指定されている。

霊廟内には、関羽、張飛などの蜀漢の武将の塑像が並び、奥に諸葛亮の塑像や劉備の塑像がある。いずれもが後世の製作で、『三国志演義』によって形成されたイメージのものである。

 

 

パンダ繁殖基地

成都パンダ繁殖基地は1993年にパンダ博物館を開設した。それは世界唯一の稀少野生動物を保護するために開設したテーマ博物館で、主にパンダ館、蝶蝶館及び脊椎動物館からなっている。パンダ等の稀少野生動物を保護する面において優れた成果をあげたため、成都パンダ繁殖研究基地は国連の環境企画部門から“ワールドランキング500”、中国の環境保護の最高賞である“中華緑科学技術金賞”、“全国環境総合管理優秀工程賞”及び“全国科学普及教育基地”など高い評価受けている。

 

 

青城山

青城山(せいじょうさん、拼音: Qīngchéng Shān )は、中国?四川省都江堰市にある山地?景勝地。道教の発祥の地の一つとして古代より知られ、道教関係の重要な建築物が集中し、宗教?医療?音楽などの道教文化が伝えられてきた。中国の中でも著名な歴史名山および国家重点風景名勝区であり、2000年、付近の岷江にある古代の水利施設?都江堰(とこうえん)とともに世界遺産(文化遺産)に登録されている。

 

 

 

 

青羊宮

成都市街地の西部、一環路沿いにある成都市で最も大きな道教寺院であります。古くは青羊肆または青羊観と呼ばれました。その由来は道教の始祖、老子が青い羊を連れてここを通ったという故事によります。

全国的にも著名な道観(道教寺院)です。この地に始めて建築物が誕生したのは周代までさかのぼりますが、盛んに建設が進められたのは、唐代になってからです。当時は青羊肆と呼ばれていいました。現存する宮観は清代に再建されたものです。

主要建築物は南北一線上に並んでおり、中でも八卦亭と三清殿が特徴的です。

さらに三清殿の前にある一対の黄銅製の羊が一見したいです。一角の羊は、1723年(清の雍正元年)に大学士張鵬が北京で購入して奉納したもので、残りの双角の羊は1829年(清の道光9年)に雲南の工匠陳文炳と顧体によって鋳造された物です。ともに災厄を払う神羊とされ、多くの人に触られた為、表面は光輝いています。このうち、一角の羊は独角獣とも呼ばれる12種の動物の化身で、耳はネズミ、鼻は牛、爪は虎、口はウサギ、角は龍、尾は蛇、顔は馬、ひげは羊、首は猿、目は鶏、腹は犬、尻は豚といった具合です。

 

 

二王廟

最初の名前は「崇徳祠」で、紀元494年、都江堰の人が李氷さんの巨大な恩徳に報いるために李氷さんの石像を造り、奉った記念廟ですが、宋開宝時代(紀元972年)、成都平野豊作で、人々が李氷さん都江堰ダム造った恩徳を記念するに彼の息子?二郎さんも造り、同じ祠に奉りました。参拝に来る人が余りにも多いので、当時四川省で流行してた道教の先生達が李氷さんとその二郎さんを道教の神様として崇拝するようにしてきました。それで、その時代から、李氷さんとその息子の二郎さんが道教の神様になり、中国人に尊敬されてきました。また、その時から、「崇徳祠」が「二王廟」に名前変わり、道教の先生達も多く修行しに行くお寺になり、やがて、道教のお寺になりました。

元の建物は明の末に戦争で無くなり、現在の建物は殆ど清王朝の同治、光緒時代(紀元1862年~1908年)の間に再建されたものです。現在でもまだ数多いの道教の先生が中で修行しています。