ブドウ溝
トルファン市の東にある。南北8キロにわたってブドウや瓜類が栽培されている。市内に比べるといくらか気温が低く感じられる。夏に行くならば、ぜひブドウを味わってみてほしい。
高昌故城
紀元前1世紀から14世紀の間、新彊における政治?経済?文化の中心地の一つでありました。漢代には高昌壁が築かれたという記録もあります。5世紀、麹氏高昌国が成立し、以後640年に唐の太宗によって滅ぼされるまで、約140年間存続しました。玄奘三蔵もインドに行く途中ここに滞在して説法をしたと言います。9世紀末、唐が全面的に撤退した後、10世紀にはウイグル人の「高昌大王府」がおかれ、高昌故城はその後300年間ウイグル人の拠点として栄えましたが、13世紀にチンギス?ハンの遠征軍に襲撃され、廃墟となりました。
交河故城
東西を2つの河に挟まれた台地上にあったため交河故城といわれます。漢代の車師前王庭があった所であり、漢王朝の屯田地として、また辺境防御としての重要な役割を果たしていました。麹氏高昌国時代、中心は高昌故城に移りまいたが、交河故城は軍事的拠点として使用され続けました。 702年には最初の安西都護府がおかれ、唐の西域経営の中心となりました。ウイグル王国時代も重要な都市でありましたが、元代末期、チンギス?ハンの遠征の途中に破壊され、廃城となりました。
火焔山
トルファン盆地中部のやや北にある。長さは約100キロ、海抜は約500メートル。赤色砂岩からなる山は強い日光に照らされて盛んに燃える火のように見える。また、時間帯によって異なった色彩を見せてくれる。
西遊記の中で孫悟空が芭蕉扇を借りて火を消したという話は、この火焔山がモデルになっています。ひびの入った山肌が日に照らされると赤く炎が出ているように見えるところからこの名がつけられました。
蘇公塔
トルファン賓館の裏の道ををひたすら東に歩き、居住地を抜けて葡萄畑が見えてきたら辿り着く。今は公園もできて観光地化されているが、イスラムのお祭の時には早朝遠方からもはるばる多くの人がやって来てここに集い、アッラーに祈りを捧げる。塔そのものに登ることは禁止されたが、モスクの上には登れるのでぜひ上がって一面の葡萄畑をこの地に暮らす人々の暮らしの様子を眺めて見てほしい。日没にあわせて行くと塔の向うに沈む夕陽が本当に美しく見られる。
1779年にトルファン群の王スレイマンが父のオーミン?ホージャのために建てました。高さは44メートルあります。
ベゼクリク千仏洞
へゼクリク千仏洞はトルファン市から東へ約45km、火焔山の中腹に位置している。高昌故城までわずか15km。新疆でも比較的大きく有名な石窟寺院遺跡の一つである。
ヘゼクリク千仏洞は南北朝時代には掘り始められていたといわれる。その後、唐?五大十国?宋?元のおよそ7世紀に渡る長い年月を経て、常に西域仏教の中心となっていた。現存する洞窟は57個、うち40個余りの洞窟に壁画が残っている。総面積は1200㎡。最盛期は回鶻人(ウイグル人の祖先)が高昌を支配していた時代であり、13世紀末に高昌王室が甘粛永昌に移され、トルファンにイスラム教が伝わると次第に仏教は衰退し、ヘゼクリク千仏洞も破壊された。さらに20世紀初頭、その後残っていたものも心ない外国人に盗み取られてしまい、現在は一部しか残っていないのである。しかしながら、これら石窟内に残る仏像や壁画は、当時のウイグル文化を知るための貴重な資料となっており、1982年国務院より重要文物保護団体に指定された。